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初代 尾上 多見蔵(しょだい おのえ たみぞう、宝暦4年(1754年)- 寛政2年(1790年))は宝暦から天明年間にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。俳名に幸朝。 京都の出身。最初花染皆之丞の門で花染民蔵を名乗り宝暦13年 (1763) に若女形の色子として初舞台を踏む。 その後初代尾上菊五郎の門に移り尾上健蔵と改名。江戸に下った後、尾上民蔵と改める。また安永8年8月(1779年9月)頃尾上多見蔵と表記を改めるが、翌年には民蔵に戻り、仙台に出る。天明7年 (1787) には上方に出る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾上多見蔵 (初代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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